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神戸地方裁判所尼崎支部 平成2年(ワ)417号 判決 1998年4月28日

原告

花谷明満

原告

花谷綾子

右両名訴訟代理人弁護士

鳩谷邦丸

別城信太郎

被告

亡熊野好治訴訟承継人

熊野和子

被告

亡熊野好治訴訟承継人

熊野好晃

被告

亡熊野好治訴訟承継人

熊野榮治

被告

亡熊野好治訴訟承継人

小谷房子

右四名訴訟代理人弁護士

米田泰邦

主文

一  被告熊野和子は、原告ら各自に対し、金六一三万〇二一二円及び内金五七五万五二一二円に対する平成二年六月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告熊野好晃、同熊野榮治及び同小谷房子は、原告ら各自に対し、金二〇四万三四〇四円及び内金一九一万八四〇四円に対する平成二年六月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用はこれを一〇分し、その三を原告らの負担とし、その余を被告らの負担とする。

五  この判決は、原告ら勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告熊野和子は、原告らに対し、それぞれ金七五〇万円及び内金六九九万九九九九円に対する平成二年六月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告熊野好晃、同熊野榮治及び同小谷房子は、各自、原告らに対し、それぞれ金二五〇万円及び内金二三三万三三三三円に対する平成二年六月二九日から右支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告らは、後記のとおり平成元年七月二〇日に死亡した訴外花谷隆明(以下「亡隆明」という。)の両親である。

(二) (元被告)亡熊野好治(以下「亡好治」という。)は、兵庫県西宮市下大市西町一四番地一三号において熊野病院(以下「本件病院」という。ベッド数一〇〇床)を経営する医師で、同病院の管理者(院長)でもあった。なお、本件病院は、内科、小児科、循環器科、呼吸器科、外科、消化器外科、脳外科等を診療科目とし、西宮市消防局指定の救急病院である。本件病院には、被告熊野好晃(以下「被告好晃」という。亡好治の子。外科医)、被告好晃の妻静香(以下「訴外静香」という。内科医)が医師として勤務しており、右両名は、亡好治の履行補助者である。

(三) 亡好治は、平成三年五月二五日に死亡し、その妻和子(被告)、長男好晃(被告)、次男榮治(被告)、長女房子(被告)が法定相続分に従って相続し、亡好治の地位を承継した。

2  亡隆明の死亡に至る経過

(一) 事故の発生と熊野病院への搬送

亡隆明は、平成元年七月一九日午後八時ころ、自動二輪車を運転して、兵庫県西宮市下大市東町二五番二六号先の国道一七一号線を西から東に向けて進行し若山町交差点に差しかかったところ、反対車線を走行してきた自動車が急に右交差点を右折したため、亡隆明は転倒して路上を数メートル滑走して、折から右自動車に続いて交差点を右折中の訴外多田三千夫運転の普通貨物自動車と衝突し、多発肋骨骨折、左肺挫傷等の傷害を負い、同日午後八時二〇分、救急車により、最寄りの救急病院であった本件病院に搬送された。

本件病院では、内科医である訴外静香が亡隆明の治療にあたり、この時点で、亡隆明と亡好治との間に右事故による傷害の治療に関する診療契約が成立した。

(二) 本件病院における治療

(1) 訴外静香は、亡隆明に対して点滴を施す外に、以下の諸検査を実施した。

① 血圧測定一回

② 抹消血一般検査(午後八時三八分実施)

③ 検尿一般検査

④ 尿中アミラーゼ検査

⑤ 頭部及び胸部レントゲン検査

(2) 右の後、被告好晃が帰院し、訴外静香と共同して治療に当たり、以下の処置を行った。

① 胸腔穿刺(エラスター針の挿入等)

② 上腕部の刺創の縫合(三針)

(3) その後、同日午後一〇時三〇分以降、被告好晃及び訴外静香は、亡隆明の胸腔内に出血があることを認め、以下の諸検査を実施した。

① 胸部レントゲン撮影

② 動脈血ガス分析(午後一〇時五四分実施)

③ 抹消血一般検査(午後一〇時五六分実施)

(三) 亡隆明の死亡(死因)

亡隆明は、右諸検査を実施している段階で既にショック状態を呈し、兵庫医科大学病院に転送の手配がなされたものの、転送は行われず、同月二〇日午前一時三三分、本件病院において、左側気胸が緊張性気胸に進展したこと及び肺挫傷による低酸素血症によって死亡した。

3  被告の債務不履行責任

(一) 本件病院の院長である亡好治は、亡隆明を交通事故による外傷患者として受け入れ、これとの間に診療契約を締結したが、このような場合に実施されるべき一般的な診察、検査は次のとおりである。

(1) バイタルサイン(血圧、脈拍、呼吸、体温、意識レベル)のチェック

(2) 負傷したことに起因する現病歴(現症状)の聴取

(3) 頭頂から足尖までの全身の系統的な理学検査

(4) 腹部の理学所見で何らかの異常があった場合には、経鼻胃管の挿入

(5) 採血による血液型の判定、抹消血血球検査、血液・生化学検査等

(6) 呼吸障害の徴候が認められた場合には、動脈血ガス分析

(7) 採尿による尿定性反応の調査

(8) (1)〜(7)の諸検査の後の放射線学的検査を含む補助診断法は、受傷機転、全身理学所見などに基づき、総合的に優先順位を判断した上で施行する。

(二) 本件病院に搬送され、検査を受けた結果、亡隆明には、その初期の段階で強い圧痕が認められたのであるから、被告好晃及び訴外静香は、次の処置、検査等を行うべきであった。

(1) 輸液路の確保

(2) 血管内留置カテーテル挿入と同時に採血を実施し、抹消血の血球算出、血液生化学検査

(3) 尿検査

(4) 動脈血ガス分析

(5) 放射線学的検査を含む補助診断上の実施

(6) 超音波検査あるいはCT検査

(三) 亡好治の債務不履行

(1) 気胸の治療懈怠

本件病院で治療に当たった被告好晃及び訴外静香は、七月一九日午後九時ころの時点で亡隆明に外傷性気胸が発現したことを確認したが、それに対する適切な治療を怠った。

① 右時点において、亡隆明は胸痛を訴え、同日午後八時三〇分から午後九時までに撮影された胸部エックス線写真では頸部に皮下気腫が存在し、少なくとも二か所以上の肋骨骨折があり、気管の右腱側への偏位もみられ、肺虚脱の程度は中等位であるので、亡隆明は、可及的早期に胸腔ドレーン挿入を必要とする中等度の外傷性気胸であったものであり、その後、左側胸壁、頸部の皮下気腫が増悪して肺虚脱が進行し、気胸の程度も増悪し、左肺横隔面と左横隔膜との間には大量の空気が貯留され、左横隔膜が下方に圧排され、気管は大きく右方(腱側)に偏位している状態になった。

② 被告好晃は、右状態の亡隆明に対し、胸腔内に適切にドレーンを挿入し、かつ気胸の発生した胸腔内圧を減少させるべく、これを持続吸引器に接続するか、挿入したドレーンをウオーター・シール(water-seal)の状態にして、外気との接続を防ぐ等の措置をとるべき義務があったにもかかわらずこれを怠り、単にエラスター針やドレーンを胸腔内に挿入したのみで、これを持続吸引器に接続したり、ウオーター・シールの状態にするなどの措置を講じることなく、外気に開放したままの状態にして、右気胸の増悪を惹起した。

(2) 動脈血ガス分析の懈怠

亡隆明が自覚的に胸痛を訴えた時点、その後、気胸、多発肋骨骨折が判明した時点、呼吸の苦しさを訴えた時点のそれぞれにおいて、動脈血ガス分析を行い、低酸素血症や呼吸不全の徴候が認められたら人工呼吸を実施すべきであったのに、被告好晃は、亡隆明に対して、同日午後一〇時五四分に動脈血ガス分析を実施しただけで、それ以前の同検査の実施を怠った。

(四) 亡好治の債務不履行(被告好晃及び訴外静香による義務違反行為に基づく)と亡隆明の死亡との間の因果関係

亡隆明は、前記のとおり、左側気胸が緊張性気胸に進展したこと及び肺挫傷による低酸素血症によって死亡したが、早期に気胸に対する適切な処置を施し、また、動脈血ガス分析がより早期の段階で実施されておれば、気管に挿管しレスピレーターによる呼吸管理をするなどして死の結果を防止することができた。

4  損害(ただし、(三)ないし(六)は、遺族である原告らの損害であり、それぞれ二分の一ずつ出捐した。)

合計 六三二二万七八二〇円

(一) 逸失利益

三六一六万四一八〇円

亡隆明の当時の年収307万3356円×0.5(生活費控除)×23.534(新ホフマン係数)

=3616万4180円

ただし、年収額は、(給与基本給一四万五四〇〇円+その他手当二万五〇〇〇円+残業手当五万三九五八円)×一二+平成元年入社社員の賞与額三八万一〇六〇円の合計金額である。

(二) 慰謝料 二五〇〇万円

(三) 葬儀費用 一五二万円

葬儀関係費用三一八万七六三二円の内金である。

(四) 遺体運送費

一四万二二四〇円

(五) 家財返送費九万六二九三円

亡隆明の住居からその家財道具を引き払った際に必要となった費用である。

(六) 遺族らの交通費・宿泊費用

三〇万五一〇七円

原告両名は、亡隆明の死亡後、医者からの説明を受けるため、あるいは亡隆明の住居を引き払うなどの必要があったために、愛媛県松山市から出てきた際に必要となった交通費と宿泊費の合計である。

5  相続関係

右4(一)及び(二)については、原告両名が亡隆明の死亡に伴い、法定相続分に従い二分の一ずつ相続した。

6  弁護士費用 合計二〇〇万円

原告らは、被告らに対し、それぞれ合計一五〇〇万円を超える損害賠償請求権のうち合計一五〇〇万円について請求するのであって、この場合の弁護士費用は、原告ら各自について一〇〇万円が相当である。

よって、原告らは、債務不履行による損害賠償として、被告和子に対し、それぞれ内金七五〇万円及びその内金六九九万九九九九円に対する訴状送達の日の翌日である平成二年六月二九日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の、被告好晃、同榮治及び同房子各自に対し、それぞれ内金二五〇万円及びその内金二三三万三三三三円に対する訴状送達の日の翌日である平成二年六月二九日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の主張

1  請求原因1の事実は認める。ただし、救急指定を受けていたのではなく、地域内の各病院が輪番で救急患者を引き受ける際の待機病院であった。

2  請求原因2(一)の事実のうち、交通事故の態様については知らない。その余の事実は認める。

同(二)(1)の諸検査のうち、点滴の実施、①、②及び⑤は認め、その余は否認する(採尿及び尿検査は、亡隆明自身が尿がないというので実施していない。)。

同(二)(2)は認める。

同(二)(3)は認める。

同(三)は、亡隆明の死因の点を除いて認める。亡隆明の容体が急変して死亡した原因は、気胸の進行と肺挫傷に限定されず、胃、肝臓等多臓器損傷の関与した外傷性の二次性(不可逆的)ショックである。

3  請求原因3(一)は、被告において明らかに争わない。

同(二)は争う。本件においては、患者である亡隆明自身が、軽傷であると医師に訴え、尿の採取にも応じていないのであるから、簡単な全身状態の診察の上で、輸液や酸素吸入を始めながら頭部外傷の有無、他の損傷の有無を客観的に確認するためにレントゲン撮影をしたことは合理的な処置である。また、その結果を踏まえて、全身を精査し、尿検査を改めて行うという処置の段取りをとったとしても十分合理的である。また、被告好晃が帰院した後、エックス線所見により胸部打撲による骨折と気胸の外、腕の外傷も発見してそれらの処置を行い、兵庫医科大学病院に転送する手配をしつつ、気胸に対する脱気の状況も観察し、ドレーンを挿入するために透視室に移した各処置も妥当である。

同(三)(1)については、亡隆明の病状が急変するまでに気胸の進行があったこと、いわゆる持続吸引がなされなかったことが不適切であったことは認める。しかし、院長の指示で、亡隆明の入院に備え、病棟では持続吸引の準備をしていた。

同(三)(2)は争う。亡隆明に対しては、酸素吸入を一貫して継続していたものの、肺挫傷の出血などにより気道確保を必要とする症状が現われたこともなく、呼吸障害も現われていないのであって、血液ガス検査の必要性を考えさせるような呼吸障害は見られていない。

同(四)は争う。

4  請求原因4はすべて争う。

5  請求原因5は明らかに争わない。

6  請求原因6は争う。

三  抗弁(損害の填補)

原告らは、次のとおり、損害の填補として合計金三五二〇万六五一〇円支払いを受けた。

①  自賠責保険から二五〇〇万二三〇〇円(平成元年一二月一四日)。

②  任意保険から(契約者多田三千夫)一〇二〇万四四一〇円(平成三年一月一七日)。

四  抗弁に対する認否

いずれも認める。

第三  証拠

証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これらを引用する。

理由

一  請求原因について

1  請求原因1の事実は当事者間に争いがない。ただし、本件病院は、いわゆる救急指定病院ではなく、輪番制で夜間の救急患者を受け入れる待機病院の一つで、当日は当番に当たっていたに過ぎない(証人熊野好晃)。

2(一)  請求原因2(一)の事実のうち、亡隆明が、救急車により平成元年七月一九日午後八時二〇分に本件病院に搬送されたこと、本件病院においては、内科医である訴外静香が亡隆明の治療にあたったこと、右時点で亡隆明と亡好治との間に診療契約が成立したことはいずれも当事者間に争いがない。

そして、証拠(甲一三、一六、検甲三、四の1ないし5、乙一の1、4、四、五、検乙一)によれば、原告ら主張の交通事故で、亡隆明が負傷した事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

(二)  請求原因2(二)(1)の諸検査のうち点滴の実施、①、②及び⑤の各検査を行ったこと、同(2)の処置がなされたこと、同(3)の各検査が実施されたことは当事者間に争いがない。

証拠(甲一四、乙一の1、検乙一の①ないし⑥、証人熊野好晃、同熊野静香、同根来秀明)によれば、亡隆明が本件病院に搬入された以後の治療経過は、以下のとおりであることが認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

前記のとおり、亡隆明は、救急車により、平成元年七月一九日午後八時二〇分に本件病院に搬送され、まず、訴外静香がその治療に当たった。訴外静香は、直ちに亡隆明に対して問診を実施し、その説明内容をカルテに記載した。この段階での亡隆明は、訴外静香の質問に対してしっかりとした受け答えをしていたが、事故前後の記憶がはっきりしない旨も説明していた。もっとも、亡隆明自身は、痛いところはないとも答えていた。訴外静香は、亡隆明が搬入された際、尿検査の必要性を認め、同人に対してこれを促したが、同人が尿が出ないと述べたので、尿が出たときに採ってくるように指示をし、この段階では採尿はしなかった。血圧にも異常はなかったものの、瞳孔反射が左側において若干鈍い上、顔色も悪く、ヘルメットにも傷が付いていたことから、訴外静香は、点滴及び酸素吸入の措置を施した上で、亡隆明をレントゲン室に移動させ、頭部のエックス線撮影を実施した。エックス線撮影をする際、右半身を下にして横にならないと息苦しい旨を訴えたので、訴外静香は、亡隆明の胸部レントゲン撮影も指示した。そのレントゲン写真において、、訴外静香は左肺の気胸を認め、脱気の必要があると考えた。このころ、被告好晃が帰院し、胸部のレントゲン写真を診て、同様に左肺の気胸を認め、その程度は中等度であることと、併せて肋骨の骨折等もあることを認めた。この後、亡隆明に対する治療は外科医である被告好晃が中心となり、当夜は、救急の患者が多数あって、訴外静香はこれらの者の対応にも追われ、手が空いた折にレントゲン室にやってきて被告好晃を手伝った。

亡隆明の左肺の気胸を認めた被告好晃は、エラスター針を用いて脱気の処置をし、一応の脱気を確認した。被告好晃は、亡隆明の体位変換の際に左上腕部に刺創を認め、その縫合(縫合数は四針)を行った。その後、被告好晃は、脱気の状態を確認すべく、亡隆明を本件病院の地下にある透視室に移動させた。被告好晃は、亡隆明について三次救急(夜間の救急患者のうち重症患者に即応する診療体制をいう。)を担当する病院に連絡を取ることを考え、兵庫医科大学病院の救急救命センターに連絡を取った。透視室においては、まず、亡隆明の胸部を透視下(透過したエックス線を蛍光板に当てて目に見えるようにしながら身体内部を検査する方法をいう。)で確認したが、前記脱気前の状態とあまり変化がない、つまり肺が膨らむなどの改善の状態が見られなかったので、気胸治療のためには持続の吸引を必要とすると判断し、エラスター針を刺入した箇所にドレーンを挿入した(その際出血を認めた。)。この前後に亡隆明の尿を採取することができたが、血尿がでていた。また、亡隆明を右側臥位にした際、咳き込みだして軽い吐血を認めたために、胃管チューブを挿入するなどした。

被告好晃は、気胸治療として持続吸引が必要と判断し、そのためにドレーンを挿入したが、中からの脱気を確認していたので、中に空気が入っているから、ドレーンを挿入したとしても外部から空気が入ることはないと判断し、ドレーンの外側に栓をするなどの処置はしなかった。

その後、亡隆明はショック状態に陥り、被告好晃らによって心臓マッサージなどを施されたが、結局、死亡するに至った。

(三)  請求原因2(三)は、亡隆明の死因の点を除いて当事者間に争いがない。

3  亡隆明の死因について

(一)  証拠(甲二、三、六、八、九、二六、二七、検甲一ないし三、乙一の1、4、二、五、一一、一二、検乙一の⑤ないし⑬、鑑定人前川和彦の鑑定結果(以下「前川鑑定」という。))によれば、亡隆明は、平成元年七月一九日午後一〇時三〇分頃、全身痙攣、硬直を呈して呼吸停止に陥ったが、ほぼこれと同時に心停止が起こった可能性が高いこと、同日午後八時三〇分から午後九時までの間に撮影された胸部エックス線写真では、頸部に皮下気腫が存在し、気管の腱側(右側)への偏位があり、肺虚脱の程度は中等度で、可及的速やかに胸腔ドレーンの挿入を必要とする中等度の外傷性気胸と読みとれる状態であったこと、右エックス線写真では、虚脱した左側肺に非区域性の境界不鮮明の斑状陰影が認められたものが、同日午後一〇時と午後一〇時三〇分に撮影された二枚の胸部エックス線写真ではこの陰影が増強しており、かなりの程度の肺挫傷が存在したことを窺わせること、さらに、同日午後一〇時五四分の動脈血ガス分析では、動脈血酸素分圧は54.3mmHgと極めて低く、亡隆明には強い酸素化障害があったことも推測されること、以上の事実が認められ、証拠(証人熊野好晃、同熊野静香)中右認定に反する部分は、前掲証拠と対比し採用しない。

そして、前川鑑定によると、これらの事実に照らせば、同日午後一〇時三〇分以前の段階で既に低酸素血症があった可能性が高く、亡隆明の死因は、左側気胸が緊張性気胸に進展したこと及び(又は)肺挫傷による低酸素血症であると認められ、ほかにこの認定を覆すに足りる証拠はない。

(二)  被告らは、亡隆明の死因は、胃、腎臓等多臓器損傷の関与した外傷性の二次性(不可逆的)ショックであると主張する。

たしかに、前川鑑定も、これらの臓器損傷(例えば、腎臓損傷)の可能性を否定しておらず、亡隆明に血尿が出たことは前認定のとおりである。しかし、前川鑑定によると、本件のように外傷性出血を原因とする入院直後の突然死の原因としては、胸部大動脈破裂や遅発性心破裂など以外は想定しにくく、この両者は、亡隆明の死後の胸部エックス線写真(検乙一の⑫、⑬)からは窺うことができなかったこと、一般に外傷性出血が原因で短時間の内に死亡する場合には、病院受診直後から重篤な出血性ショックの状態で、大量で急速の輸液、輸血にもかかわらず血圧の維持が困難で、最終的に失血死に至るのが通常の経過であると認められるところ、亡隆明の場合は、受診後二時間以上も、出血性ショック状態を呈しておらず、受診後二時間半を経過した時点で突然、全身痙攣、硬直、呼吸停止などの突然の症状が発現したことは前認定のとおりであるから、これらによると、被告らの主張はにわかに採用することができない。

4  亡好治の債務不履行について

本件病院における亡隆明に対する治療の経過は前記のとおりであり、これを前提として、亡好治の債務不履行について検討する。

(一)  請求原因3(一)について

前記のとおり、亡隆明は、交通事故による転倒を機転として、本件病院に搬送されてきたのであるから、原告が主張するような諸検査を実施すべきであったことについては、被告らにおいて明らかに争わないから、これを自白したものとみなす。

(二)  被告好晃の過失について

(1) 被告好晃が、亡隆明の左肺に気胸の存在を認め、脱気をすべくエラスター針を体内に挿入したことは前認定のとおりであり、証拠(乙一の1、証人熊野好晃)によると、被告好晃は、その際の脱気の状況がシビアであったことから、亡隆明について緊張性気胸の存在を疑いつつも、レントゲン室において、そのころ見つかった亡隆明の上腕部の外傷の縫合を始めたことが認められる。

(2) ところで、証拠(甲二、九)によれば、次の事実が認められる。外傷性気胸とは、外部からの傷害により胸膜、肺胞又は気管・気管支が損傷され、胸膜腔内に空気が流入する症状を指し、鈍的損傷によって発生する閉鎖性気胸、鋭的損傷によって発生する開放性気胸、及びその両者によって発生し極めて緊急度の高い緊張性気胸に分類される。外傷性気胸は、頭部、腹部、四肢などの損傷を合併する頻度が高く、気胸に特有の症状(息切れ、胸痛、呼吸困難など)の訴えを把握することが難しく、また、緊張性気胸は、その原因が閉鎖性であれ、開放性であれ、著明な呼吸困難と同時に血圧の低下を伴うため緊急性の極めて高い病態である。それは吸気時のみ創から胸腔内に空気が入り、呼気時には弁状の閉鎖が生じ、患側の気胸が増加し続け、患側の肺は完全に虚脱することになるもので、縦隔は健側に強く偏位し、健側肺の容量も減少し、患側の横隔膜は下方に偏位し、中心静脈圧は上昇するという症状を示す。その診断は最終的には胸部エックス線の撮影によって行われるが、緊張性気胸が疑われる場合には、胸部エックス線を撮影する前に胸腔内圧を減少させるための救急処置(胸腔ドレーンの挿入など)を行うことが必要であり、それが適切に施されないと、患者が死亡することがあるとされている。

(3) そして、証拠(証人熊野好晃、前川鑑定)によれば、亡隆明について、受傷当日である七月一九日午後八時三〇分から九時までの間に本件病院で撮影された仰臥位の胸部エックス線写真(検甲一ないし三)では、左側外傷性気胸が明らかであり、また、頸部に皮下気腫が存在し、少なくとも二か所以上の肋骨骨折が認められ、気管も若干健側(右側)に偏位していること、肺虚脱の程度は中等度で、明らかに可及的早期に胸腔ドレーンの挿入を必要とする中等度の外傷性気胸であったことが認められる。さらに、証拠(証人熊野好晃、前川鑑定)によれば、同日の午後一〇時と一〇時三〇分に撮影された二枚の胸部エックス線写真(検乙一の⑦、⑧)と、前記エックス線写真(検甲一ないし三)とを比較すると、左側胸壁、頸部の皮下気腫が増悪しており、この皮下気腫の増悪は、肺から空気が漏れ、胸腔内の空気が皮下組織内に拡がったもので、これにより肺虚脱が進行し、気胸の程度が増悪し、特に前者の写真では、左肺横隔面と左横隔膜との間隙に大量の空気の貯溜があって、左横隔膜が大きく下方に圧排されており、また、気管はより大きく右方、すなわち健側へ偏位し、さらに、虚脱した左肺の血管陰影が増強し、境界不鮮明な斑状陰影がび漫性に存在するようになり、肺鬱血あるいは肺挫傷が顕著化したかのいずれかが疑われる状態になっていることが認められる。

(4)①  証拠(甲二、九、前川鑑定)によると、右亡隆明の右症状に対しては、可及的速やかに胸腔内の空気を胸腔外に誘導する目的の胸腔ドレーンを正しく胸腔内に挿入し、持続吸引することが有効適切であることが認められ、この処置を施すことにより緊張性気胸にまで悪化することを防ぐことができたのである。したがって、本件病院管理者の亡好治は、右処置を施すべき診療契約上の義務を負っていたというべきであり、亡好治の履行補助者たる被告好晃は、亡隆明の緊張性気胸を悪化させないよう持続吸引の措置を講じるべきであった。そして、証拠(証人熊野好晃、同橋本幸子、前川鑑定)によれば、右処置は、本件病院でも施行可能であり(現に、当時、搬送されてきた亡隆明の治療にたずさわった看護婦橋本幸子は、胸腔ドレナージ(胸腔内にドレーンを挿入して、胸腔内の空気、液体などを胸腔外に誘導する処置をいう。)の準備をした。)、被告好晃においても、この程度の処置をすることに困難はなかったと認められる。したがって、被告好晃が、亡隆明の胸部にエラスター針を挿入して胸腔内からの脱気を試み、その段階で一応の脱気を認め、その後、脱気の状況を確認すべく、亡隆明を透視室に移動させて胸部の状況を確認したが、それほどの改善がみられなかったので、持続吸引の必要性を考え、エラスター針を挿入した部位にドレーンを挿入した(ここで出血を認めた。)ことは前認定のとおりであるが、実際にそれを持続吸引器に接続するなどの措置を講じたり、またドレーンにいわゆるウオーター・シールの処置(胸腔内に挿入したエラスター針やドレーンの先端(挿入した側とは反対側)を延長チューブに接続し、これを水中につけることによって、外気との接触を遮断し、空気が胸腔内に流入しないようにし、胸腔内圧の維持を図る処置をいう。「水で閉鎖をする」の意味。)を施した事実を認めるに足りる証拠はないから、被告好晃の医療行為は胸腔内圧の減少のための処置としては不十分であったというべきであり、被告好晃に診療上の過失があったことは明らかである。

なお、カルテ(乙一の1)には、あたかも持続吸引をしたかのような記載があり、証人熊野静香もこの記載に沿う証言をするが、被告好晃は、実際に持続吸引の措置を講じたかどうかは記憶がはっきりしない旨述べる一方で、死後に至るまで持続吸引はできなかったと述べるなど、証言内容が一定しないし、その他の証拠(証人橋本幸子、証人岡山るり子)に照らしても、右証拠(乙一の1、証人熊野静香)はにわかに採用することができない。

②  また、証拠(甲九、前川鑑定)によれば、肺挫傷の治療は、気道内出血に対して十分なドレナージ、すなわち体位変換、咳喇誘発、吸入療法、吸引などの処置を施してこれを外部へ導くことと気道の清浄化の措置をとるのが通例であり、それと同時に酸素療法、すなわち動脈血ガス分析を行い、低酸素血症や呼吸不全の徴候が認められた場合には直ちに人工呼吸を開始することが必要であって、動脈血ガス分析は、胸部外傷による呼吸や循環動態を把握するために不可欠の検査の一つであると認められる。したがって、本件亡隆明に対し動脈血ガス分析を行うことは、診療契約上の重要な義務であったというべきである。

しかるに、被告好晃は、亡隆明に対して、前記のとおり、適宜の時期に動脈血ガス分析を行っていないのであって、この点の処置が不十分であったことは明らかである。

(5) なお、被告らは、亡隆明が軽症患者としての様相を呈していた旨主張する。たしかに、証拠(甲七、二九、乙一、証人熊野好晃、同熊野静香)によれば、本件病院に搬入された後の亡隆明の外見的な症状は、その死の直前に至るまで意識も清明で、亡隆明自ら救急隊員や本件病院の医師、看護婦とも話しをし、大袈裟にしたくないと言って家族への連絡を断るなど一見して重症患者であると見える状態ではなかったことが認められる。

しかし、だからといって、重症患者でないとは断言できないのであって、本件亡隆明の搬送や治療に関与した者には、この点についての認識に不十分な点があったことは否定できない。しかも、本件の場合、前記事故の状況が自動二輪車を運転していた亡隆明が走行中に転倒したうえ、路上を数メートル滑走して貨物自動車に衝突しているのであって、これらのいわゆる受傷機転からすれば、重篤な外傷を負っていると判断すべきであり(この点で、救急隊員等についていわゆる現場トリアージ(傷病者の重症度を判断して、その程度に応じた適切な医療施設を選択すること)にも問題があったことは否定できない。)、亡隆明が交通事故により受傷した患者であることは訴外静香にも分かっていたのであるから、訴外静香や被告好晃についても亡隆明を軽症患者であるとの前提で診察すべきではなかったことは明らかである。

5  そして、亡隆明の死因が緊張性気胸及び肺挫傷による低酸素血症であることは前認定のとおりであるところ、被告好晃が、亡隆明に対して適切な緊張性気胸の治療及び動脈血ガス分析を行うなどの措置をとっていれば、亡隆明の死を回避することができたと認められる。したがって、亡好治の診療契約上の義務違反と亡隆明の死亡との間の因果関係があることは明らかである。

6  原告らの損害

原告らの損害は、以下のとおり認められる。

(一)  逸出利益

三六一六万三七一九円

証拠(甲二〇ないし二二、四三)及び弁論の全趣旨によれば、亡隆明(昭和四三年七月一七日生)は、当時二一歳の健康な男子で、平成元年四月一日相生精機株式会社に入社し、本件事故に遭遇しなければ六七歳まで稼働可能であったこと、亡隆明の年収は、死亡当時、月額の基本給一四万五四〇〇円、その他の手当二万五〇〇〇円、月額の残業手当五万三九五八円、年間の賞与額三八万一〇六〇円であり、これらの合計は三〇七万三三五六円であったことが認められる。

右収入額を基礎として、生活費を五〇パーセント控除し、稼働可能期間(四六年)に対応する新ホフマン係数を用いて中間利息を控除して算出すると、亡隆明の逸失利益は次のとおりとなる。

307万3356円×(1−0.5)×23.5337

=3616万3719円

(二)  慰謝料 二〇〇〇万円

本件過失行為の態様、亡隆明の職業、年齢及び家庭環境等を考慮すると、二〇〇〇万円が相当である。

(三)  葬儀関係費用(甲三六の①ないし⑮) 一五二万円

(四)  遺体運送費用(甲三七の①、②) 金一四万二二四〇円

(五)  家財返送費用(甲三八)

九万六二九三円

(六)  原告らの交通費・宿泊費用(甲三九の①ないし⑳)

三〇万五一〇七円

以上によると、損害額の合計は五八二二万七三五九円となる。

7  損害の填補

原告らが、①自賠責保険から二五〇〇万二三〇〇円、②任意保険(契約者多田三千夫)から一〇二〇万四四一〇円、合計金三五二〇万六五一〇円を受領したことは当事者間に争いがない。

そこで、右金額を前記亡隆明の損害(6(一)及び(二))に充当すると、残額は二〇九五万七二〇九円となる。

8  亡隆明の相続関係

原告らが、亡隆明の両親であることは当事者間に争いがなく、他に相続人はいないから(弁論の全趣旨)、亡隆明の死亡により、亡隆明の亡好治に対する二〇九五万七二〇九円の損害賠償請求権を法定相続分に従って二分の一ずつ相続し、各自一〇四七万八六〇四円の損害賠償請求権を取得した。

また、証拠(甲四二)によれば、前記6(三)ないし(六)(合計二〇六万三六四〇円)は、原告らが二分の一ずつ支出したと認められる(各自一〇三万一八二〇円)。

9  弁護士費用 一五〇万円

本件事案の難易、請求額、認容額その他諸般の事情を考慮し、被告らに賠償させるべき本件債務不履行と相当因果関係のある弁護士費用としては原告ら各自について七五万円、合計一五〇万円が相当である。

10  被告らによる亡好治の相続

請求原因1の(三)の事実は当事者間に争いがない。

二  まとめ

以上のとおりであるから、原告らの本訴請求は、いずれも被告和子に対し、それぞれ金六一三万〇二一二円及び内金五七五万五二一二円に対する亡好治に対する催告(訴状送達)の日の翌日であることが記録上明らかな平成二年六月二九日から、被告好晃、同榮治及び同房子に対し、それぞれ金二〇四万三四〇四円及び内金一九一万八四〇四円に対する亡好治に対する催告(訴状送達)の日の翌日であることが記録上明らかな平成二年六月二九日からそれぞれ支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容するが、その余の請求はいずれも理由がないから棄却することとし、民事訴訟法六一条、六四条、六五条、二五九条を適用して、主文のとおり判決する。

(口頭弁論終結の日・平成九年一一月二五日)

(裁判長裁判官白井博文 裁判官金子大作 裁判官徳岡由美子は、転補のため署名押印できない。裁判長裁判官白井博文)

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